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執筆者の写真そらまめお

山からの贈りもの

人はなぜ山を登るのか?



登山者なら何度か考えさせられるテーマだ


人それぞれ答えがあるだろう。


僕もハイカーの端くれとして、1つ答えを持っている。


人は山のように大きくなりたいのだ


懐の広さ、動じない逞しさ、自然が織りなす美しさに憧れているのだと、僕は思う。


つまり、成長するために山に、旅に出かけているのだ


何かに気づいて、深く知ろうとしたり、手放したり、意識を変えたり。




山で学んだことの1つに「共助」の精神がある


今なお僕の人生で大きな軸になっている助け合う心、人を助ける力


山での怪我や事故は、山行パーティにせよ、通りがかりのハイカーにせよ、シビアに力が求められる。

処置や救助できる道具や技術、体力があるか?

通報できるか?食料はどれだけ渡せるか?


だんだんと登山レベルが上がると、歩く山のことと他人のことを考えながらザックに装備を入れるようになる。そうするのは歯がゆい経験も積んでいるからだ



人に手を差し伸べたり声をかけるという行為は、山では自然な事だった


山を下りてからもこの意識だけは失いたくないと思っている。

そして、この意識は街でも広がったら楽しくなると思うようになった。


「共助」というと、震災や火災といった災害時に出てくるワードでもあるが、

僕が3年蔵王でやってきた草刈りや薪割り、送迎のお手伝い、工具や車のレンタルも暮らしの助け合いだった



車や道具はメンテナンスをして使いやすく綺麗にしておく。

これは消防で学んだ他の隊や部と「共有」して使う意識が強いからだ


モノは自分だけが使うわけではないという意識が元々あった

さらには自分の体も人のために使える器用な道具だと感じるから尚更メンテナンスは欠かせない。


モノも自分も、より多くの場面で役に立つ事が嬉しい事なのだ


自分だけでなく周りも巻き込んで、マンパワーも、モノも、スキルも、ハコも貸し借りが気軽に安心してできるようになれば、もっと暮らしやすく、楽しくなってくる。


日頃から共助ができていれば災害時の助け合いもスムーズにできるようになり、防災対策としても一役買いそうだ。



せっかく蔵王という頼もしい山の麓で暮らしているのだ


色々な僕の思いも叶えさせてもらおう


今年は、

蔵王をシェアリングのできる麓町にしてみよう




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